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アドラー心理学③

・「これまでの人生になにがあったとしても、今後の人生をどう生きるかについて何の影響もない」自分の人生を決めるのは、「いま、ここ」に生きるあなたなのだ。

・われわれは孤独を感じるのにも、他者を必要とする。

・対人関係のなかで傷つかないことなど、基本的にあり得ない。対人関係に踏み出せば大なり小なり傷つくものだし、あなたも他の誰かを傷つけている。アドラーは、いう。「悩みを消し去るには、宇宙にただひとりで生きるしかない」のだと。

・アドラーは「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」と断言している。これは、アドラー心理学の根底に流れる概念。

・劣等感は、主観的な思い込み。(ちなみに、劣等感という言葉を現在語られているような文脈で使ったのは、アドラーが最初だとされている。)たとえば高値で取引されるダイヤモンド。あるいは貨幣。我々はここに何らかの価値を見出し、1カラットでいくらだとか、物価がどうしたとか言っている。しかし、ダイヤモンドなど、見方を変えればただの石ころに過ぎない。つまり価値とは、社会的な文脈の上で成立しているに過ぎない。

・人は誰しも、優越性の追求という「向上したいと思う状況」にいる。何らかの理想や目標を掲げ、そこに向かって前進して入り。しかし理想に到達できていない自分に対し、まるで劣っているかのような感覚を抱く。たとえば料理人の方々は、その志が高ければ高いほど「まだまだ未熟だ」「もっと料理を極めなければならない」といった、ある種の劣等感を抱くだろう。アドラーは「優越性の追求も劣等性も病気ではなく、健常で正常な努力と成長への刺激である」と語っている。劣等感も、使い方さえ間違わなければ、努力や成長の促進剤となる。つまり、劣等感をバネにするわけだ。

・劣等感が強ければ、誰だってネガティブになって「どうせ自分なんて」と思うに違いない。しかし、これは「劣等コンプレックス」だ。劣等コンプレックスとは、自らの劣等感をある種の言い訳に使い始めた状態のことを指す。具体的には、「私は学歴が低いから、成功できない」「私は器量が悪いから、結婚できない」と考える。このように日常生活のなかで、「Aであるから、Bできない」という論理を放りかざすのが、もはや劣等感の範疇に収まらない、劣等コンプレックスといえる。

・自らの劣等コンプレックスを言葉や態度で表明する人、「AだからBできない」と言っている人は、Aさえなければ、私は有能であり、価値があるのだ、と言外に暗示している。

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