イビチャ・オシムさんは、サッカー元日本代表監督。
旧ユーゴスラビア代表の最後の監督、日本代表監督を歴任されました。「考えて走るサッカー」を掲げて代表チームの強化にあたりましたが、在任中の2007年11月に脳こうそくで倒れて監督を退きました。
大好きな監督でした。
ご冥福をお祈り申し上げます。
哲学の言葉
人の頭ではなく、自分の頭で考えなければならない。
あなたは、息子さんを「最後まであきらめずに走る子供」に育てましたか?
私には、理想とするサッカーはない。「こういうチーム」と決めてしまうとそれ以上のチームにはならないからだ。完璧と言えるチームはないと思っているし、起こりうる状況の中で常に前進して行くだけだ。
人生は100年も続かない。選手のサッカーキャリアなどもっと短い。その短い選手生命の中で、何か歴史に残ることをしようじゃないか。
大事なことは、昨日どうだったか、明日どうかではなく、今日一日を大切にすること。
サッカーの試合とは絶対に一人では成立しない。君たちの人生も同じじゃないか。
やることをやってもし負けるのなら、胸を張って帰れるはずだ。
トップクラスの選手は、シンプルにプレーするものであり、それが一番美しい。
自分を信じることだ。自信の無い者に戦う資格は無い。
サッカーとは、トータル的にこれが理想というものがない。だからこそ魅力的なんだ。
玄関を出入りするときに毎回つまずいて、転びそうになるならば、それはドアが悪いのではなく、つまずく方に問題がある。
タレント不足と言うならば、ユース時代から数年間にわたる強化が無意味だったということだ。つまり選手を否定することは彼らを選び、指導してきた人々も否定することになる。
偽物は、いつまでたっても偽物。模倣はどこまでいっても模倣なのである。
ポジティブシンキングに客観性が加わるときに、平常心は生まれる。逆に何も信じるものがなくなったときに、あらゆる可能性が泡となってその姿を消すのだ。
前に出ること。それだけでサッカーは即座に美しくなる。少しリスキーではあるが美しい。
1点負けていたって、まだ試合には負けていない。
ライオンに追われたウサギが逃げ出す時に、肉離れをしますか?要は準備が足らないのです。
二本足で日本に来たが、杖をついて三本足で帰ることになるかも。それだけ多く足跡を残したということなら、私の財産はその杖だ。
ブラジルが一番と決まっているのだったら、ほかの国はサッカーをやる必要はない。だから、サッカーは面白いんだ。強いと言われていても、彼らが常に勝つわけではない。
監督というものは、常に何がうまくいっていないかを探さないといけない。私はブラシのようなもの。常にホコリをはらうことをしないといけないのだ。
監督というものは心理学者であり、教育者でなければならない。それにときどきは上手にウソもつかなければならない。
他人に責任を押し付けているならば、サッカーという仕事をすることはできない。
「リスクを負わない者は勝利を手にすることができない」が私の原則論である。
エゴイズムはプレッシャーへの強さでもある。エゴイストだから外す、では監督として単純すぎる。