石川町駅中華街口から徒歩30秒
中学受験国語専門塾です

大村智物語

ノーベル賞をとる秘訣に、少年少女時代の体験が根っこあると思います。

・「少年時代、農作業の手伝いをしていました。農作業でやっていることは、化学の実験をやるときや作業の計画を立てることとよく似ているところがあります。どちらも、将来のことを考えて計画を立てないとうまくいきません。何かあったときには、すぐに予定を変更してやることは、農業も同じです。農民は自然科学者であると思うことがあります」

・母親(小学校の教員)の日記の裏には、「教師たる資格は、自分自身が進歩していることである」といったことが書いてありました。

・智少年は、母親が教師をしていて忙しくしていたころはおばあちゃんによく面倒を見てもらっていました。「人の役に立つことをしなさい」と言われて育てられたのです。

・大学時代、スキーの横山先生からは、「勝つためには、人から教えてもらったことをやるのではなく、さらに自分たちで技術を研究することが大事だ。レベルの低い人のまねをしても、その人と同じであり、その人を超えることはできない」と学びました。

・夜間学校(墨田工業高校)の教師になったときのエピソード。ふと目にしたのは、鉛筆を握っている生徒の指に、油がこびりついている光景でした。裕福な農家の長男として育った自分と比べて、必死に勉強に取り組んでいる姿を見て、自分はもっと何かをしなければすまないという気持ちになりました。

・1960年には東京理科外大学院理学部に入学します。昼間は大学院、夜は高校の教師をする日々を送ります。化学は実験が大事なので、土日に集中してやることにしました。登山で使っていた寝袋を研究室に運び込み、泊りがけでやることにしました。

・1965年には北里研究所に入ります。29歳で入所して、大学を出たばかりの人と同じ扱いでした。「よし、それなら他の人とは違うところを見せてやろう!」と思い、毎朝6時に研究室に出勤しました。

・ある冬の寒い日の夜でした。銭湯からの帰りがてら、研究のことを一心に考えながら歩いていました。どこをどう歩いたか覚えていませんでしたが、自宅に帰りつくと何か、かたいものが肩にあたるのです。肩にかけていたタオルがカチカチに凍っていました。逆さにしても折れずに立っています。歩きながら研究のことを考えていたので、時間も寒さも忘れるほど没頭してしまったのでした。

・いつもビニール袋を持ち歩き、いろいろな場所でスプーン1杯分の土を取って袋に入れます。その土の中には1億個もの微生物が生きています。その中にある微生物が作っていた化学物質が特効薬になったのです。その土は、神奈川県伊東市川奈のゴルフ場の近く取った土でした。その中にアフリカの人々を救う物質を作っている微生物がいたのです。

close up photo of person holding sand
Photo by Muffin Creatives on Pexels.com