石川町駅中華街口から徒歩30秒
中学受験国語専門塾です

悲しみの効用

・何も言わない、ただそばにいる。相手の嘆きを自分のことのように感じながら、それでもなお、「あなたの痛みを私は引き受けることはできません。本当に残念です」というように共感共苦する雰囲気は、必ず人に伝わるものではないでしょうか。

・人は言葉というものを持って以来、遥か昔からずっと、思いついたことを人に話すことで思いを伝えてきただけでなく、自分とも対話をしてきたのでしょう。声に出して話し。相手の反応を見ているうちに考えも深まり、新しい発想がわいてきたに違いありません。それは昔もいまも変わらないことではないでしょうか。おしゃべりもまた、人間が生きるうえで大切なことなのです。

・人間は十人十色、というより百人百色なのです。人はさまざまで百人百色だということは、たとえば手紙を書いてみると一目でわかるのです。何でこんなに字が違うのかというくらいに、百人が百人違う。人はしょせん一人ひとり違うのだ、ということを腹の底から納得する必要があるような気がします。

・何か起こったときに、他人に責任を転嫁するのと、「俺が決めたことだから」というのでは、やはり違う。自分の意見に従う、自分の考えどおりにやるということは、とても恐ろしいことです。そして決めた以上は、それはもう自分が決めたことだからという、ある種の諦め、覚悟というものを持たなければならない時代となりました。

・「悲しいときには、胸が張り裂けそうな苦しみを味わいます。やがていつの日か心の晴れるときが来ようとは、いまは夢にも思えないことでしょう。けれども、それは思い違いというものです。あなたは、きっとまた幸せになれます」(リンカーンの演説)

・「年々にわが悲しみは深くして いよよ輝く命なりけり」(岡本かの子)

・強い悲しみが免疫力を上げるという説も信じられるようになってきました。ですから、最近の「悲しいときは泣きなさい」というようなケアの仕方も、理由のないことではないでしょう。

・一言で言うと、悲とは、「共感共苦する心」です。人が痛み苦しんでいるようなとき、そばにいて自分も同じように心を痛めるということでしょうか。そういう共感共苦の心持ちというのが、実は「悲」という感情なのだということがわかってくるのです。そばに寄り添って、その人の痛みを自分の身に引き受けてあげたいと思う。しかし、人の痛みというのは個人的なものです。けっして他人が譲り受けることができないし、代わることもできない。そのことがわかってきたときに、おのずと「ああ、何ということだろう!」というため息が漏れてきて、うめき声が漏れ出す。これが「悲」という感情です。そういう「悲」の心を感じつつ、そばに寄り添うということは、痛み、悲しみの最中にいる人にとっては、それはそれで非常に大きな励まし、力になることではないでしょうか。

※悲しみの効用(祥伝社・五木寛之)より

girl wearing white clothes walking on pavement road
Photo by Juan Pablo Serrano Arenas on Pexels.com