忙しさで心を無くさない
電車の中から景色を眺める。
橋の上から、川の流れをぼんやりみつめる。
授業中に運動場の体育の様子を・・・。
こんなときの気持ちを茂木健一郎は、「やるせない」というのではないかと言っています。
「やるせない」に相当する外国語はなかなかありません。
一生懸命に生きている。そんな中で、忘れてしまっているものが、ふとよみがえる。本当は大切にしなくてはいけないものがあるんだけれど、忙しさのなかで情熱(気持ち)を掛けられていないことに気づく。
そういうものに気づいたときに、人は悲しいとかつらいとかとは違った「涙」を流す。
涙はさんずいに「戻る」と書きます。赤ちゃんは泣きながら生まれてくるのも、そう思えば深い意味があるのでは。
すぐにできること。「空を眺めてみよう。」
コミニケーション力
作家、内田樹(うちだたつる)さんは、ある本の中で、専門家の定義を「他の専門家とコラボレート(共同作業)できること」としています。なるほどと思います。自分のまわりとしかコミュニケーションできない人いわゆる「オタク」では、大きい仕事が出来ません。
スパイ大作戦のような映画だと、爆弾の専門家とか、運転のうまい専門家とか、語学の専門家とか、色っぽい女の人とか、さまざまの専門の人が特技を持ち寄って、大きなことをやり遂げます。少年漫画でいえば、昨年、映画化された「スラムダンク」は、いろんな個性のある人たちが集まって、戦いに勝利するという内容になっています。
コミュニケーション力をつけることが、生きていくには超大事だと再確認。文系の教師の立場からでは、国語の記述の練習は、コミュニケーション力の向上のためにある。