数学者・秋山仁さんの言葉からは、哲学も感じられます。
「今日は何人の人を喜ばせることができるだろうかと考え、朝起きよう」
「努力は報われず、正義は滅びる。だけど、それでも努力するのが美しい人生だ」
「問題を解くことは重要である。しかし、問題を発見することはもっと重要である」
「不得手も頑張れば、得手になることが、人生たまにある」
「人が気付いていない真理を、人と違った角度から眺めて見つけ出す。仕留めがいがあるんですよ、数学は」
「地べたをはいつくばって、死にもの狂いで一生懸命やっていると、たまに、まぐれですばらしい数学の定理を見つけられる」
「教育者としてテレビ講座や講演活動をしたり、啓発書などの執筆も数多く手掛けていますが、私の本職は数学者。死ぬまで数学者として活躍し続けたい」
「楽な道を選ばず、あえて、いばらの道を好み、突き進んだ。大した才能もないヤツが数学者になるためには、それぐらいの覚悟がないとできなかった」
鶏頭の
正岡子規が亡くなったのは三五歳。しかも、死ぬ寸前まで創作活動をやめず、最後の7年間だけで、素晴らしい作品を残し続けました。
ところが、子規の主治医の方はこんなことばを残しています。
「子規もえらいか知らんが、看病の二人のほうがえらい。膿のついた布は毎日洗わなきゃいけない」
看病した二人というのは、子規のお母さんと妹さんのことです。子規は結核と戦うために、栄養のあるものを食べつづけますが、二人はかなりの粗食だったともされています。