完璧な自分
『完璧な人にはなれないが、完璧な自分にならなれる』
アメリカのジム・ドノヴァンという作家がこの言葉を言っています。
彼は、自分の人生は制作中の絵画だと考えてきたそうです。画家が絵に取り組むように、自分の人生にさまざまな色を塗ってきた。自分は常に変化し、成長し、進化し、磨かれてきた。そして、もちろん、自分の人生という絵は決して完成しない。変化し、成長することが、人生そのものなのだから。
完璧主義のダメな点は、完璧を求めるがゆえに、何にも挑戦しないことです。
以前も書きましたが、飛行機は、飛行時間の約90%をコースを外れて飛んでいるといいます。コンピューターで制御されているのに!意外な数字です。ただし、コースを外れることは大きな問題ではなく、微調整しながら、目的地に到着すればよいとの考え方なのです。
ライナス
漫画「PEANUTS(スヌーピー)」に、毛布を持った幼い天才、ライナスがいます。チャーリー・ブラウンたちが困っているときは、含蓄のあるアドバイスをしてくれたりします。
□元気だせよ。勝つより負ける方がためになることが学べるよ。
□彼女がほんとに君を好きなら、どんなものをあげたって喜ぶよ。
□何を信じてもいいんじゃないかな?真剣な気持ちを失わない限り。
「毛布」に関連して、もう一つ。
心理学者ハリー・ハーローは、針金製と布製の代理母模型を用いてアカゲザルを使った愛着の実験をしました。アカゲザルの子どもを、針金で作った母親には哺乳瓶をつけてミルクを飲むことを可能にし、毛布の母親には哺乳瓶をつけずに、ただ暖かく肌触りの良い模型を用いて育てたところ、お乳をもらえるかということに関係なく、暖かい肌触りの母親に強い愛着を示しました。
このことから食べ物を与えてくれるから愛着が形成されるというよりも、ぬくもりのある対象にたいして形式されることが考えらています。
「毛布のようなママであれ」