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中学受験国語専門塾です

褒めると叱るの使い分け

(1)「褒めるときとしかるときを使い分け」 
単純作業や簡単な課題ならスパルタでもパフォーマンスがあげられる。
逆に、難しい課題に取り組む場合には、リラックスした環境が適している。
ということをデータが示しています。 

(2)「叱るときも最後は褒めて終わるようにする」  
最後を建設的な言葉で締めるようにすると、注意が相手の心に響く可能性が高い。

わからないを大切にしたい

「わかりやすいことには逆に気をつける。わかりにくいことのほうがはるかにおもしろい。こうした感じ方を、ぜひ大切にしてほしい」とおっしゃっています。

中学入試の勉強は、たしかに「わかりにくい」内容もありますが、だからこそ「おもしろい」。(得意単元なら、その感覚も分かるのではないかと思います。)保護者会でよくお伝えするのですが、塾の授業が、しっかり話を聞かなくても理解できる内容ばっかりだとしたら、毎回勉強しなくても満点を取れる内容ばっかりだとしたら、果たして貴重な時間と費用をかける意味はあるのでしょうか?

「わかりやすいことが今、とても安直に求められている傾向が目立つ。でも『わかりやすいこと』は、すでにある、誰もが知っている情報のパッケージとして組み立てられているから『わかりやすい』のだ。新しい発想や理論、新しい知識や知恵というものは、まだ情報としてパッケージ化されていない。良く『わからない』ことからモヤモヤとつくりあげていき、あるとき直感のようにして真理を発見する」と今副教授は語ります。

「わからない」のはネガティブでつまらないことではなく、ポジティブでおもしろい未知が隠れているということです。

失敗しても、本気であれば。

「うまくいけば大当たりなんだけど、失敗すると何も残らない。こういう考え方をオールオアナッシングというが、実はこれは大嘘。物事を本気でやると、失敗しても必ず何かが手元に残る。」

科学の大きな発見というのは、失敗がきっかけとなって生まれることが圧倒的に多い。電気が流れるセメントも、偶然、炉の中に水素を満たした中でセメントを焼いたら出来たもの。ノーベル賞をとった白川秀樹さんの電気が流れるプラスチックも、実験の際に学生が「ミリ」と「ミリグラム」を間違えたことがきっかけで生まれました。

ほっとする話

「14歳の子を持つ親たちへ」(新潮社)のなかにも、内田樹さんが、ほっとするような話をされていました。

『家族での対話の基本というのは、「お腹減ってる?ご飯あるよ」とか、「お風呂はいる?わいてるよ」とか、「眠い?お布団干しておいたよ」とか、そういう生理的な快の提供と不快の除去というところにあると思うんです。それがクリアーできたら家庭としてはもうお上等ですよ』

R .I .P

夏まゆみさんの「エースと呼ばれる人は何をしているか」(サンマーク出版)

AKB48の高橋みなみ。
いまではグループ総監督になっている彼女ですが、第一期生として入ってきたばかりのころは目を覆いたくなるほどダンスが下手で、スキップすら出来ませんでした。でも高橋は「私は踊りが下手だから駄目だ」なんて後ろ向きなことは一度も言いませんでした。マネージャーにバカにされても、へへへと笑いながら舞台の隅でずっとスキップの練習をしていました。そのスキップがまたヘンテコで、さらに失笑を買うのですが、それでも平気な顔をしています。普通の女の子なら「恥ずかしい」と感じて腰が引ける場面かも知れません。でもそれを表には出さないで、へっちゃらなふりをして練習しているのです。多感な10代の女の子には、なかなかできることではないと思います。

でも、この「恥をかくことを恐れない」ことが、必ず強みになります。

もし!

「あなたの最高傑作は?」「次の作品さ」(チャップリン・イギリスの映画俳優)

・あなたの一番良かった模試の成績は?次の模試さ!と開き直るのも悪くない。

set of playing cards on table
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