「悪意の科学」(サイモン・マッカーシー=ジョーンズ)によると、悪意とは「他者を傷つけ、害を与え、かつその過程で自分にも害が及ぶ行動」と定義されています。最悪の例としては自爆テロや拡大自殺が挙げられますが、より近い例としては、嫌いな人間の悪口をネットに書き込むような行動も見られます。自分が損してでも他人にもっと損をさせたいと考えることがあるのが人間のリアルです。
「共有地の悲劇」と呼ばれる現象もあります。ある村に共有の牧草地があり、村人が羊を放牧していたとします。一人の村人が羊の数を増やせばより儲かることに気づき、本来2頭までのとこと10頭に増やします。すると、他の村人も自分も儲けたいからと次々と羊を増やしてしまい、最終的には牧草地の草が食べ尽くされ、荒廃してしまいました。集団における利己的な振る舞いは、結果として社会として望ましくない状態になるのです。
この二つの例については、他人を批判するためではなく、人間の業を知ることで、物事をよくするヒントが見つかるかもしれないという視点で読むと良いと思います。知っていることで、人生を良い方向に向かわせることができますが、これが「学びの本質」です。
「何のために勉強するの?」というので色んな説が色んな場所で語られていますが、私なりには、大学入試のためだけに勉強するのではなく(入試も大事です。このことを否定したり矮小化したりするのであれな、教育業界で生きていてはダメだと思います)、<幸せになるために勉強するんだ>、このことを国語を通して伝えたいと思います。国語は、人間の<業>をも伝える科目だからです。
