「嫌われる勇気 アドラーの教え」(ダイヤモンド社)を再読しました。心に留まったことをメモしました。「そうすれば人は幸せに生きることができるか」という哲学的な問いに答えた本になります。
・宗教が力を持っていた時代であれば、まだ救いもあった。神の教えこそが真理であり、世界であり、すべてだった。その教えに従ってさえいれば、考えるべき課題も少なかった。しかし宗教は力を失い、今や神への信仰も形骸化している。頼れるものが何もないまま、誰もが不安に打ち震え、猜疑心にコロ固まっている。みんな自分のことだけを考えて生きている。それが現代社会というものだ。
・人は誰しも、客観的な世界に住んでいるのではなく、自らが意味づけをほどこした主観的な世界に住んでいる。あなたが見ている世界は、わたしが見ている世界とは違うし、およそ誰とも共有し得ない世界である。井戸の水の温度は年間を通してほぼ18度で一定している。しかし、夏に飲む井戸水は冷たく感じるし、冬に飲むと温かく感じる。つまり環境の変化によって錯覚してしまう。
・もしかするとあなたは、サングラス越しに世界を見ているのかもしれない。そこから見える世界が暗くなるのは当然。だったら、暗い世界を嘆くのではなく、ただサングラスを外してしまえばいい。
・人間は、過去の原因ではなく、いまの「目的」を考える。「不安だから、外に出られない」のではなく、「外に出たくないから、不安という感情を作り出している」とアドラー心理学では考える。
・原因がわかったからといって、人は満足ができない。例えば、あなたが風邪で高熱を出して医者に診てもらったとする。そして医者が「あなたが風邪をひいたのは、昨日薄着をして出かけたからです」と理由を教えてくれたとしても、そんなことはどうでもいい。問題は、いま高熱に苦しめられているという事実であり、症状。医者であるならば、ちゃんと薬を処方するなり、注射を打つなり、何かしらの専門的処置をとって、治療してくれなければならない。
・怒りは一瞬の感情。母親と娘が大声をあげて口論していたとする。すると、突然、電話のベルが鳴った。その電話の主は、娘が通う学校の担任教師だった、そうと気づいた途端、母親の声音は丁寧なものに変化する。そのままよそ行きの声で5分ほど会話をし、受話器を置いた。と同時に、再び血相を変えて娘に怒鳴り始める、要するに、怒りとは出し入れ可能な「道具」なのだ。
・あくまでも、「人は変われる」を前提に考えよ。というのがアドラー心理学の真髄。