・アドラー心理学とは、他者を変えるための心理学ではなく、自分が変わるための心理学。
・対人関係を競争で考え、他者の幸福を「わたしの負け」であるかのようにとらえると、幸せそうにしている他者を、心から祝福することができない。「人々は私の仲間なのだ」と実感できていれば、世界の見え方は全く違うものになる。
・仮にあなたが言い争いをしたとする。そして敗北を認めた相手が、いさぎよく引き下がったとする。ところが、権力争いはここでは終わらない。争いに敗れた相手は、次の段階の「復讐」に突入する。いったんは引き下がったとしても、相手は別の場所、別の形で、何かしらの報復を画策し、報復行動に出る。だから、権力争いを挑まれた時には、絶対に乗ってはならない。(人は、対人関係のなかで「わたしは正しいのだ」と確信した瞬間、すでに権力争いに足を踏み入れている)
・理解したいのは、怒りとはコミニケーションの一形態であり、なおかつ怒りを使わないコミニケーションは可能なのだ、という事実。われわれは怒りを用いずとも意思の疎通はできるし、自分を受け入れてくれることも可能だ。それが経験的にわかってくれば、自然と怒りの感情も減ってくる。
・負けたくないとの一心から自らの誤りを認めようとせず、結果的に誤った道を選んでしまう。誤りを認めること、謝罪の言葉を述べること、権力争いから降りること、これらはいずれも「負け」ではない。
・アドラー心理学の行動面の目標は二つ。
①自立すること
②社会と調和して暮らせること
・行動面の目標を達成するための心理面の目標は二つ。
①わたしには能力がある、という意識
②人々はわたしの仲間である、と言う意識
・恋人や夫婦の関係では、ある時期を境にして相手のやることなすこと、すべてに腹が立つようになることがある。食事の仕方が気に食わないとか、部屋にいるときのだらしない姿に嫌悪感を抱くとか、あるいは寝息でさえも腹が立つとか。つい数ヶ月前まではなんとも思っていなかったにも関わらずだ。これは、その人がどこかの段階で「この関係を終わらせたい」と決心をして、関係を終わらせるための材料を探し回っているから、そう感じるのだ。相手は何も変わっていない。自分の「目的」が変わっただけだ。人はその気になれば、相手の欠点や短所などいくらでも見つけ出すことができる極めて身勝手な生き物だ。たとえ相手が聖人君子のような人であったとしても、嫌うべき理由など簡単に発見できる。