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クリスマスに思うこと②

曽野綾子さんの書籍を3冊、ご紹介いたします。

「聖パウロの世界をゆく(講談社)」より

この世で必要な人はいないのである。

パウロがそれを体の各部の比喩で表現しようとしたのは卓越したアイデアである。パウロの時代には、すでにヒポクラテスが出てから5百年近く経ってはいたが、パウロがとくに医学に詳しかったとは思えない。しかし人間の体にそなわったもので、何一ついらないものはないことを思えば、パウロの説明の仕方は、まことに当を得たものだと思う。私たちが今日暮らしていくとき、自分はこの上なく重い存在であり、他人は不必要なものだと思うことがもしあったとしたら、それは自分の体を生かしている諸器官のしくみさえ知らないことになる。

「完本 戒老録-自らの救いのために」(祥伝社文庫)より

どこかで聞いた話か読んだ話か思い出せないのだが、体の不自由な老女が、毎夜、道に面した窓の傍に、あかりを置いて、じっと座っているという話が私の記憶の中にある。それは、そこを通りかかる旅人のためであった。長い道のりを暗闇の中を歩いてくる人を迎える灯であった。自然の威圧の中に、小さなあかりが見える時、旅人はほっと人間の優しさを感じるのである。人間の存在が、灯になり得るということである。他には何の働きもできぬ老女でも、他人にただ光を与えることによって、彼女自身も他人のために生きるという人間の本質を維持し、しかもそのことによって、幸福を味わうことができるのである。

「悪の認識と死の教え―私の実感的教育論」(青萠堂)より

頭のいいことだけが力ではない。愛嬌のいいことも、陽気なことも、歌が上手いことも、ダンスのセンスが並外れてあることも、力持ちなことも、いざという時に落ち着いていることも、すべて力である。中でもすばらしいと思うのは、苦しみに耐える力と、人を許す心である。つい先日、24年間、腎臓を患い、22年前から透析を続け、10年前から全盲になり、体も半身動かない寝たきりになりながら、運命を呪ったこともない元自衛隊員の話を聞いた。奥さんの方が、病人のご主人をつかまえて、愚痴をこぼすのだと言われたが、ご主人はいつも明るく、看護婦さんの人気者だという。

そういうことができるのが、ほんとうの勇気であり力なのだろう。

このブログをお読みのご家庭が、良いクリスマスを迎えられていることをお祈りいたします。

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