高浜虚子
俳人・高浜虚子は、愛媛県生まれではありますが、亡くなるまでの50年は鎌倉市で過ごします。夏目漱石の「猫伝」という小説を、「吾輩は猫である」という題名にしたというエピソードもあります。
昔の作家たちは、交流が深く、そこから近代文学の豊かさの土壌になっています。スポーツ以外でも、日本人は集まる(個性ある集団)と強さを発揮します。どんどん仲間が増えていく漫画にもつながっていると感じます。
高浜虚子の俳句で私が一番好きなものをご紹介します。
「春風や
闘志いだきて
丘に立つ」
テストの極意
テストが開始となったら「まず全体の分量を確認してから、解きやすい問題から手をつける」のが鉄則。最初の数秒が大切です。特に、空欄の多い受験生は、これを習慣にしましょう。
昔の戦国武将は湯漬け(今でいうお粥)が主食でした。小田原城主であった北条氏康は、息子の氏政と食事をしていました。氏政はご飯にお湯をかけて湯漬けを食べ始めましたが、途中まで食べると、お湯を注ぎたしました。この様子を見ていた父、氏康は、「一杯の飯の量を測れぬような者に、家を守れるわけはない。北条氏は自分の代で終わるのだ」と考えました。実際、1590年、豊臣秀吉の小田原征伐のときに、氏康は切腹、北条氏は滅亡してしまいます。