学校説明会で、ディベート力強化についてのプレゼンテーションがなされることがあります。パワーポイントなどが登場したての時期だとアピール力がありましたが、私は共感力を磨いておいてこその話だと最近感じるようになりました。
論破!
・ストレスが高い状態は不快なので、何とかしてストレスを下げたいと思います。困ったことに、その一番簡単な方法は他人を攻撃することです。これはヒヒの研究の研究で明らかになったのですが、ステータスの少し低い中間層のヒヒがボスザルにいじめられたとしますすると、そのヒヒは、ボスに向かって反抗するのではなく、自分よりステータスの低いヒヒを攻撃します。すると攻撃されたひひはメスを攻撃し、そのメスは他のメスの子供を攻撃するのです。自分中心主義の人は、会社などの組織の中で自分が不当に扱われていると感じていたり、社会の中で自分が正しく評価されていないと思っています。そういう人は些細な理由で他者を攻撃し、達成感を味わおうとするのでしょう。
・子供たちの間では最近、口論に勝つと「ハイ、論破!」というのが流行していました。国際舞台で堂々と議論ができる人材を増やそうと、日本でも欧米並みのディベート教育が求められている影響か、議論で相手を論破したくなる人が、若い世代を中心に増えているようです。職場においては口下手な人や大人しい人を狙って議論をふっかける輩もいて、「ロジカルハラスメント」なる新語も登場しています。ディベートで建設的な議論をするのは、もちろん悪いことではありません。しかし、目的が相手を言い負かすことになってしまい、相手の主張の僅かな矛盾点をつく揚げ足取りのようなことで、議論に勝ったと喜んでいるのは本末転倒でしょう。
・確かに、正論も社会システムを正しく運用するために必要なケースもあるでしょう。ただ、社会経験が豊富なビジネスパーソンなら、世の中が「正論ばかりでは回らない」と百も承知のはず。言い換えれば、正論を武器に論破してくるということは、組織内で権力を持たず、論理やデータ以外に寄る辺のない人間が、「ささやかな抵抗を試みているに過ぎない」とも取れるわけです。相手を論破することで優越感に浸ったり、論理的思考力やコミニケーション能力の高さを誇示したりするのも、「自分の価値を認めてもらいたい」といった、歪んだ自己愛に基づく欲求を満たそうとしているからかもしれません。