小学校の二宮金次郎像が子どもたちに聞いても消えている。薪を背負いながら本を読んでいる姿は、時間を惜しんで努力するという勤勉の象徴であった。しかし、「子どもが歩きスマホをしていて事故にあったらどうするのか?」「子どもが働く社会というのは間違っている」という意見の元、姿を消している。ある小学校では、座って本を読んでいるというニュータイプの銅像もあるが、それなら作らなくて良いのではないかと思う。
授業をやっていても、「韻文」を苦手にする子どもたちが多い。それは、比喩、特に暗喩が読み取れていないからである。SNSで誤読が増え、時には炎上してしまうのも、暗喩が読み取れないからだと感じる。比喩の面白さには、国語のエッセンスが詰まっていると思うのだが、実に勿体無い。
