幕末の学者、佐藤一斎の言葉。
『朝に食べていないと、昼に空腹となる。同じように若いときに学んでいないと、壮年になって困る。つまり正しい判断もできなくなるのだ』
禍福は糾える縄の如し
吉田松陰が妹・千代に送った手紙。
『私が牢屋においてこのまま死ぬことになれば、これはわざわいのように思えるかもしれないが、一方においては牢屋の中では、学問をすることもできて、これによって自分を高め、成長でき、後の世のためになる仕事もできる』
我慢しなさい
目標達成のためには、何かを(正しく)「我慢」することは必要なことです。
でも、仏教では「我慢することにとらわれてはいけない」と教えます。
「我慢しなさい」という言葉の奥には、自分の都合が優先されてはいないでしょうか?
「私も我慢したのだから・・あなたも・・・」という気持ちはないでしょうか?
「我慢している自分」に自己満足してはいないでしょうか?