昔、白隠というお坊さんがいました。あるとき、侍が訪ねてきて「地獄や極楽はあるのでしょうか?」とたずねました。白隠は「そんなことが気になるとは、おまえはそうとうな腰抜け侍じゃな」と言うんです。侍はものすごく怒って白隠を刀で切ろうとします。まさに刀が振り下ろされようとする瞬間、「それっ!そこが地獄じゃ!」と白隠は気迫のこもった声で言います。侍は、はっと気付いて、あわてて刀をおさめ、その場にひざをついて「ありがとうございます」とおわびとお礼をのべます。白隠は「それ、そこが極楽じゃ」と、にっこり笑ったそうです。
地獄も極楽も、「シアワセ」も「フシアワセ」も、すべて自分の心のなかにある。
言い訳
言い訳をすることに慣れてしまって、いつの間にか本来の姿や目的が見えなくなっていることはないでしょうか?言い訳は、「自分自身への慰め」でしかありません。「自分には無理だ」という気持ち(思い込み)に縛られている限り、それはいつまでたっても「無理」なままです。
未来がはっきり見える人間はいません。(「もし未来が見えたとして、その人が幸せかどうかは分かりません。」って『ドラえもん』が教えてくれました。)だから、何かを決断するときに不安や恐れをいだくのは当然のこと。ただし、人間は、その不安を乗り越える力を持っています。それは、自分の「価値観」を信じ、決断する「勇気」ではないでしょうか。