自分の思い通りに生きたがどうかが大事。長さではない どう生きるかどう死ぬかっていうのは個人が責任を持って選んで下さい。
ドビュッシーだって青写真的なものはあるけどかなりプライオリティは低い。むしろ聴く喜びの連続をただ求める「発想の瞬間」が続いていくだけ。ドビュッシーは作曲している途中どこに行くのか自分でわかっていなかったと思う。作曲する行為がある種、即興だった。
ガーシュウィンがパリにわたって、ラヴェル先生のところにいくわけだけど、そこで言われたのが『二流のラヴェルはいらない。お前は俺が書けないものを書いている』って弟子入りを拒否したんだって。いい話だなあと思う