元浅野中学の名物校長であった淡路雅夫先生。先日、久しぶりにご連絡いただき、いろいろなお話を聞かせていただきました。現在も、淡路子育て研究所を主宰されて第一線で活躍されています。出会ったのは、20年以上前になりますが、たくさんの話をさせていただきました。
人を育てる
・現在の子育ては、どちらかというと社会や家庭の「面倒見」が進み、親が一生懸命になりすぎて不安を抱くようになり、結局、社会へ出るために培われなければならない子供の資質を活かしきれていない状況が見受けられます。とくに、情報社会における子育ては、良い子育てという「流行」に乗ることが、子供のためになると錯覚している風潮さえあります。それは、急速で激しい社会の変化と不安定で多様化する社会で、親は、自分の生き方はもちろん、子供を育てるための羅針盤が見えなくなり、結果として、子供へ関わる基礎・基本が脆弱になっているのだと思います。
・親の多くが、子供をよく育てたいという気持ちは親として当然のことです。しかし、子どもには、生まれた時から、生きる力が備わっているのです。それは、自ら生きたいという「欲求」です。もっと食べたい、もっと知りたい、自由に行動したい、多くの人と触れ合いたいという人間としての自然の気持ちです。これらの欲求は、家族との関わりとともに周囲の状況を観察して、子ども自身が自分のために情報を収集し、真似るという学びによって自己を育てる人間の資質なのです。
・子育てもものわかりの良い友達のような親子が生まれ、子供の思うようになる育て方が流行りました。その結果、子供は、秩序意識、社会のルールやマナーが希薄になり、結果として、我慢する力や忍耐力も脆弱になり、子供自身の生活習慣にも影響が出てきて、子供が社会生活をする上で戸惑いを感じるケースが多くなってきました。子供は厳しく育てられれば、社会生活のルールは守りますが、厳しすぎると子供は良い子ぶって育ちます。しかし、良い子ぶっている子供の内面では、ストレスと不満を抱きながら育つことになります。そのストレスは、親の目の届かないところで発散されることがあります。
・子供が授かったと知った時、多くの親は、「元気で生まれてきますように」と願います。ところが、いざ子供が生まれると、子どものためでなく、親のための子育て意識が強くなるように感じます。子育ての目的は、子供が人間社会で自分の培った持ち味を発揮して、社会人として生活できるように育てることです。
・子供は、お母さんのお腹から誕生したと気は、生物学的なヒトです。そのヒトを、「社会的人間」に育てるのが子育てです。その育てるプロセスが「しつけ」であり「教育」なのです。
・お母さんは、子供の見えない資質を伸ばすために、子供が気づいたり感じたりした興味や関心事に、耳を傾けて欲しいと思います。親が、子供の気づいたことに無頓着になると、子供の学びの機会が脆弱になっていきます。現代社会の子どもは、兄弟が少なく、ましてや、外での遊びを通して友達から気づき考える機会が、あまり多くありません。
・社会の多様性が進んでくると、ますます一人ひとりの個性が活かされる、いわゆる、その子供らしいという「希少性」が、重要視されてきているのです。子供には、みんなのできる基本的なことはもちろん、みんなの持っていない特性、「子供自身の持ち味を育てる子育て」を考えることです。
・人生80年の時代から100年の時代へと子供の生きる時間が長くなり、その間の生き方も大きく変わろうとしています。仕事(企業)も10年単位で倒産したり、新しく起業されたりすることが、多くなると言われています。すでに、多くの仕事が起業され、消えるのも早い社会になっています。したがって、これからの人間は、今までと同じ職場に30年間、40年間と勤めることも少なくなるでしょう。多彩な資質や技能をもつ人は、転職も多くなるでしょう。すでに若者の中には、社会の変化を見越して多様な進路を想定し始めています。
・家族は、本来、構成員の心の居場所であり、安らぎの「場」なのです。そのために家族一人ひとりができることを提供し合い、お互いに住みやすくすり努力が必要なのです。自分の教室のお掃除は自分たちで、また、肩づけも自分でやっています。給食の配膳にも先生は手を出しません。幼稚園や小学校で、せっかく主体的に自律心を育てているのに、どうして家庭でそれを実践しないのでしょうか。
・お父さんの失敗体験を、話して聞かせるのも良いでしょう。お父さんは、毎日、仕事を成功させるために、さまざまな葛藤をしているでしょう。一番身近にいて尊敬するお父さんが、いろいろな葛藤を乗り越えていることを知ると、子供は、一歩踏み出す勇気を持てるのではないでしょうか。
・多様な教育方針を持っているのが私学の特長だが、現実は似たような指導内容になりつつある。それは、塾が私学に対して偏差値をつけ、志願者の学校選択をその偏差値で輪切りにして、親の選択に助言を加えようとしていること、さらに、社会の学校評価が大学合格の割合で判断される傾向にあるので、結局、進学実績を上げるための指導へと偏った関わりをしている私学は増えてきているのではないか?
・東日本大震災の津波に襲われ、宮城県石巻市の大川小学校の多くの児童や教職員が犠牲になりました。その時、6年生だった次女を失った元中学教諭の佐藤敏夫さんの講演を聴く機会がありました。中学校では、防災担当でもあった佐藤さんは、「命を救うための時間も手段も情報もあったのに」と、言葉に力を込めて当時の様子を次のように話されました。地震(津波)は、天災であったかもしれないが、救えた命を救えなかったのは、「組織としての意識決定の問題」である。津波が来たのは、地震の約50分後。その直前まで、子供達は、いつもの防災訓練でしていたように、低地の校庭に集合していた。スクールバスも待機していた。近くには、子供たちが日頃遊んでいる山もあったのに、と。「組織と意思決定の問題」、この激しい社会変化の時代に、子供を預かる私学は、組織が円滑に機能しているか。意思決定は、遅延なく行われているか。子供の指導の問題。教員の人間関係や働く環境づくりの問題。保護者と学校の連携など。学校関係者が相互に、子供を育てるという当事者意識が育っていなければ、想定外のことが怒っても思考停止してしまって速やかな対応はできません。