江戸時代は、およそ1万3816の寺子屋、私塾1438校、藩校283校があったとされています。(「日本教育資料」明治23年―25年刊行)。徳川期の武士は、難しい漢文、特に儒学を学んでいました。その武士たちは、明治以降に学識ある官僚となり、西洋文明の受け皿となっています。徳川期の武士たちの間では、教育という言葉はほとんど用いず、「学問」という言葉を使っていました。福沢諭吉の本も「学問のすゝめ」です。
教育は、「教える」と「育む」を組み合わせた明治時代にできた言葉(造語)です。「教える」という上にあるものが下のものに施すという意味の言葉が、その後の学校教育のあり方の姿を決めてしまっていたという説があります。
私は、このブログでも極力、「教師」ではなく「(塾)講師」という表現を使っています。
生徒と上下関係ではないという感覚を持っているからです。