石垣りんの「ユーモアの鎖国」(ちくま文庫)の中に、「待つ」というエッセイがある。そのエッセイの最後は、こう締めくくられている。
〜終戦とはいうけれど、八月十五日に片付いたものはごくわずかであったろう。私の友だちは夫の戦死の通知を受け取るまでに、それから二十年近く待たなければならなかった。待って受け取ったのは、骨のはいっていない骨壷だったという。〜
戦争の悲惨さを子どもたちに感じさせるために研修旅行に行くこともあるが、文学との出会いも大事だと思う。終戦記念日の「記念」に違和感があるのは、私だけであろうか?


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