以前、絵本作家の葉祥明先生とお話をしたことがあります。北鎌倉に美術館もあります。前職の時に、講演会を開いたこともありました。葉先生は、アンパンマンの作者のやなせたかし先生とも懇意にされていました。以下、やなせ先生の講演より。
5歳
ぼくは5歳の時に父と死別した。生まれた時は未熟児であった。この未熟児コンプレックスは、ぼくの生涯にわたって付きまとうことになる。体力についても、才能についても、容姿についても劣等感があった。ぼくの周りの人々はみんな温和で善良であったから、ぼくはなんとか逆風の中で生き延びることができた。それでも小学生のころに自殺したくなって、線路を彷徨ったこともある。原因は忘れてしまった。小さな蛾にとっては小石も越え難い巨岩に見え、水たまりも大海のようで絶望してしまう。兵隊にとられて中国の山野で銃をかついでいた時は、もう2度と故国の土を踏むことはないと諦めていた、焦土となった敗戦の祖国へ引き上げてきた時も、希望何一つなかった。
それでもシドロモドロに僕は生き延びてきた。「今日いちにち生きられたから、明日もなんとか生きてみよう」と思った。
60歳
大変に遅まきながら60歳を過ぎたあたりかた、あまり欲がなくなった。「漫画は芸術である」なんて偉そうなことは言わなくなった。人生の最大の喜びは何か?それはつまるところ、人を喜ばせることだと思った、「人生は喜ばせごっこ」だと気づいた時、とても気が楽になった。
てのひらを太陽に
僕の歌の中で代表作のように言われている「てのひらを太陽に」の一節は、「生きているからかなしいんだ」である。よく「なぜ悲しいのか」と聞かれる。悲しみがなければ喜びはない。不幸にならなければ、幸福はわからない。空腹の時に食べるラーメンがどんなに美味しくて、幸福なのか実感できない。僕らはこのさびしげな人生の中で悲喜こもごもに生きるのだ。