こだわらないこと
茶道や能楽の鑑賞にいくことがあると、「禅」という考え方にも触れる機会も増えてきます。
禅では、「こだわらないこと」ということが、何度も言われています。
いいことをしようとこだわっている
他人からほめられることにこだわっている
いい父親であることにこだわっている
いい母親であることに
会社の役職(立場)であることにこだわっている
いい子であることにこだわっている
などなど。
時には、○○せねばならない~という気持ちではなく、自由に季節を楽しむことも。
食べるのもままならな国で、自分が一つしかないケーキをもらったら?
そのときに、ケーキをほかの人に分けてあげるか、自分だけで食べるか?
子どもたちに聞いてみると、
「ケーキをもらえなかった子が、かわいそうだから分けてあげる」
という子が多い。
それも、素晴らしい答えだが、『ケーキはひとりで食べても美味しくないから』『みんなで食べたほうが絶対に美味しいから』ということが、子どものうちから考えられるようになるとさらに素晴らしいと思います。
ノートを取る
・子供の頃から携帯電話やコンピュータで活字を打てるようにするのもいいが、それは書字を覚える前にすべきことではない。初等教育において、文字を書くことはすべてに優先する基本なのだ。特に仮名や漢字の書字はタイピングと全く異なる運動機能であり、タイピングができても字が書けるようにはならないのである。文字を書くことを面倒くさがるようでは、書字の先に積み上げられていくであろう知的作業の全てが雑になってしまう恐れがある。
・宿題でもレポートでも(筆者は東大教授)、自分で苦労してからこそ意味があるのに、今は考える前に調べ、見つからなければ質問サイトに投稿する時代なのだ。答えに出合った時点で、一切考えることをやめてしまう。それは、人間であることを自ら否定しているようなものだ。人間が作ったものによって、人間が堕落するのを見るのは、耐え難い。(「脳を創る読書)より)