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背景には


松岡修造さんの人生です。

・松岡自身は慶應義塾幼稚舎・慶應義塾中等部、慶應義塾高等学校と進学後、テニスの道を究めるため、家族の反対の中、テニスの名門である柳川高等学校に編入。

・父からはプロ転向に際し一切の援助は行わないと条件を付けられており、松岡はまず金銭の工面に苦労する事となった。

・当初は貧窮に堪えながら世界中を転戦した。ホテルの朝食に出たクロワッサンを隣のテーブルから盗んで食べたこともあったという。宿泊するのは3流以下の安モーテルの一室で、更にそれを知り合った外国人選手と折半。ランキングが下の松岡はいつも汚い床の上で寝た。

・89年にヒザを痛め2度にわたり手術、厳しいリハビリの末にツアーに復帰を果たすが、90年のセイコースーパーテニスでは足首の靭帯を損傷。それでも松岡は壮絶なリハビリに耐え、なんと翌年にツアー復帰。不屈の精神で這い上がる。

・孤独な自分を奮い立たせるため「エースをねらえ!」全巻を持ち歩く
人の心を奮い立たせる言葉が出てくるのは、背景にさまざまな苦労があったらから。

1995年ウィンブルドン

松岡修造さんは、夢の実現は、自分1人の力でなし得たことではないと言います。その一例として、1995年のウィンブルドン3回戦を振り返っています。

・外国人ばかりの観客席から飛んできた日本語の応援。「日本人の観客の方が『自分を信じてけ!』と声援を送ってくれた。本当の自分の強さを出させてくれた言葉でした」

修造さんが、応援することで人を成功させることができる、そう感じた瞬間であったと言います。だからこそ、苦しいとき、辛いときは自分を鼓舞しようと、「修造がんばれ!」「大丈夫。できる」「絶対できる」と声に出し、ときには心の中で、彼は強く叫び続けてきたのです

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