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解剖学者と建築家


「日本人はどう死ぬべきか?」(日経BP社)を読みました。栄光学園を卒業した養老孟司さんと隈研吾さんの共著になります。さらに、もう一人の卒業生である生命知能システム研究者の廣瀬通孝さんを含めた3人の対談が巻末にあります。

養老:(大船の前は、横須賀の田浦に校舎がありました。)かつての学校敷地の写真では、裏に防空壕みたいなものも見えるし、もう、いろいろなものがありましたね。学校で使っていたのは、古い建物の一部で、敷地は瓦礫がそのまま残されているの。で、それを片づけるのが我々なんです。年に一度、秋に草むしりをやらされてましたよ。そうすると、エゾカタビロオサムシというのが出てくるんですよ。みんながそれを僕にくれて。

廣瀬:僕が影響を受けたと思うのは、絶対評価が基準だったことです。とにかく「比較しない」という考え方で。学年で何位というような順位付けは決してしないんですよ。例えば前の学期に数学が80点だったとして、それが今学期に85点になったら「向上した」ということで評価されるんですね。当時はあまり意識していなかったけれど、後になって振り返ると非常に特徴的な教育でしたね。

隈:神父さんは、簡単にいうと、「お前らは必ず死ぬ」という話をしてくれました。10代の日常に、死と向き合うということなんてほとんどないじゃないですか。そこに、死の話をがんがんされて、「ああ、俺、もう、死ぬんだ」という気持ちになる。でも、それはすごくいい教育だったと思います。

みなさん、栄光学園が東京ではなく神奈川、都市の外にあったことが精神形成に大きな影響を及ぼしたとおっしゃっています。納得です。

おまけ

「清泉の女学生と接触がないように、清泉はバス通学が規則で、栄光は絶対にバスには乗っちゃいけないと言われてました。なぜか先生だけは乗っていいのね。」という内容もありました。

aerial photography of a boat on a waterway in the middle of forest
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