『3月の風と
4月のにわか雨とが
5月の花をもたらす』
結果が出るまで、時間がかかるもの。
山手の丘に
『横浜の女性宣教師たち(横浜プロテスタント史研究会・有隣堂)』という書籍を購入しました。
フェリス女学院や横浜共立学園、横浜英和学院の創立の歴史がつづられています。また、捜真女学校の中島学院長も執筆に携わっていらっしゃいました。
□たくましく生きた女性宣教師
・1923年の関東大震災は、東京と周辺の都市を巻き込み、家屋全半壊焼失37万2659戸、死者行方不明10万5385人、その被害は想像を絶するものがあった。女性宣教師たちが尽力して立てた学校の校舎の被害は甚大であった。フェリス女学院のカイパーは、校舎が倒壊し身動きができず、火の手が上がって「神の御心のままに安らかに眠る」として悲惨な死を遂げた。残された教職員、生徒たちの心の中にそのことが深く刻まれて学校の復興に力を与えた。横浜共立学園では、共立女子神学校の校舎だけが残ったが、他の後者は全て灰塵に帰した。ルーミス校長は、復興に骨身を削って校舎建築に力を注いだ。太平洋戦争の時代には、強制帰還させられ、帰国しないと抑留されて収容所に入れられた。ミッション・スクールに残って生徒たちを教え育てることを望んでいたのに、引き裂かれて本国に帰国せざるをえなかった。また、戦争下の生徒たちは制服も着用できず、勉強することもままならず、勤労動員をさせられて国のために青春を犠牲にした。その思いはどうだったのだろうか。