伊能忠敬の歩幅は69センチだったということがわかっています。右足と左足の歩幅をぴったり合わせる訓練をしてから、測量の旅に出かけました。しかも50歳から勉強をはじめ、旅に出たのは55歳の時です。3年をかけて蝦夷地、東北、中部地方の測量を終え、本来の目的であった地球の外周の計算を行います。その結果、出した答えが約4万キロ。現在、スーパーコンピュータが計算した数字との誤差は、約0.1%という驚異の精度でした。
その後、幕府から「西日本全土の地図を作成せよ」との命令を受けて測量を続けますが、
最後の測量は伊能忠敬が71歳の時。17年にもわたる旅でした。歩いた距離は、偶然にも地球の一周と同じ4万キロだったといいます。
<千里の道も69センチから。>
1460冊
1460冊。
吉田松陰が牢獄に入れられていたときに読んだ本の数です。
「獄にあっては獄のなかでできることをする。
獄を出たら、出てできることする」 今やれることを精一杯しようというメッセージです。
まわりや環境のせいにしている暇はありません。