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2011年4月29日〜5月4日

東日本大震災のボランティアで石巻に行きました。

ほんの短い時間のわずかな活動なので、偉そうに語れるものなど何もないのですが、少しずつ感じたことを報告させていただこうと思います。

パート1


4月29日夜の10時に宮城県石巻市に到着。石巻は2000人以上の方がお亡くなりになっており、今回の震災でも被害が大きい地域となります。よくTVで見る光景が目の前に広がるのを見ると、声にならないショック。
その日は、他のボランティアの方との顔合わせのみでしたが、阪神大震災や中越地震も経験された方もおり、気合万全のスタッフという印象を受けました。

宿泊場所は、幼稚園の教室です。寝袋を持参していたのですが、予想以上にかなり寒い状況。車の中においていた携帯カイロを体中に貼り付けてようやく、うとうと出来る程度。3月初旬だとしたら、どんなに寒かったでしょうか?また、帰る場所は期間の限定されているボランティアとはまったく違います。
長い間、避難場所で生活されているかたの苦労が体で感じられました。1泊2日のボランティアのツアーもあると聞きましたが、もし現地の電気や水や食料を使っているのであれば、それは観光にすぎません。

パート2

2日目は、朝から、水産加工会社の復興支援のお手伝いに行きました。思い出の品などを片付けることもあるのですが、あまりにもテキパキと作業することが被災者の方にとっては失礼に当たることも学びました。ダンボールに入っている食品も愛情をもって育てられた海産物です。支援が物質的なものから、精神的なものへと移行している時期なのでしょう。
昼は石巻の全景が眺められる日和山という山に登りました。海から数百メートルは、すべて津波にやられていました。山には桜の花もきれいに咲いておりせつなさも募ります。
水が使えないため、夜は自衛隊風呂を使わせていただきました。水は川から引いてきます。1箇所で1日500人以上の方が利用されるとのこと。ニュースでは、自衛隊の方の活躍は報道されませんが、大変なご苦労だと思います。

パート3

炊き出し(クリームシチュー)にも参加しました。海のそばの地域は、満潮時には道路が冠水してしまいます。ちょうど、タレントの鶴瓶さんもテレビの撮影に来ていました。
お菓子を渡していたとき、女の子がこんなことを言いました。
「みんなの分がなくなるから、ダメだとは思うんだけどチョコもう1つ欲しいなあ」
「いいよ、あげるよ。遠慮しちゃだめだよ。」
「ありがとう。母の日までかくしておいて、その日にあげる!」
5月は子どもの日と母の日が近くにあります。少しでも、その2日に笑顔が広がれば!

ちなみに、子どもには、ドラゴンボールのおもちゃが大人気でした。残念ながら、6個しかなかったため翌日、もう1個をお渡しに行きました。7個そろったので、願い事がかないますように・・・。

パート4

被災したアパートの泥出しを行いました。家財道具が壊れているものはもちろんですが、床上浸水なので外からのものも流れこんでいます。基本的には、家財を捨てる作業になりますが、アルバムや表彰状、カメラなどの思い出に残る品物は見える場所に残しておきます。食事途中のお皿がそのままになっているところもあり、いかに急な津波被害であったかが分かります。

昼ごろ住民の方が、お一人戻ってこられました。父親と母親を亡くされています。たまたま子どものプールのお迎えに行った妻と働いていた自分は助かったとのことです。

プールが遅れていなければ、妻と子どもも一緒に亡くなっていたかも知れないし、逆にプールが遅れていなければしっかり者の妻が父親と母親を連れてみんなで逃げられたかもしれない、とさんざん悩まれたそうです。写真とデジカメ2台が残っていたのでお渡ししました。見せるかどうか悩んだということでしたが、幼稚園の男の子も壊れてしまった家を見せに連れてこられました。男の子は、まだ事態がよく飲み込めていないようです。宝物のミニカーは見つけることはできずにごめんなさい。せめて、デジカメのメモリーが残っていればと願います。

パート5

老人ホーム、小学校2校、中学校2校に支援物資を届けに行きました。水がない地域では、お風呂や洗濯はもちろんですが、トイレが難関。電気は自家発電の設備がそろってきているのですが、水がないというのはなんと不便なことか。
また、場所によって必要なものがまったく違うことも感じさせられました。子どもがいない場所もあれば、お年寄りばかりのところ、他県の支援が充実しているところもあれば、そうでもないところなど様々です。
お年寄りが「絵本」を手にとられたので、たぶん小さいお子さんがいらっしゃるのだろうと伺ったところ、とにかく暇なので本を読みたいとのこと。難しい本を読む気持ちにはなれないので、絵本が一番落ち着くとのこと。ここでも話を聞くことの重要性を感じました。

物資では、冬物のセーターや毛布が多いのですが、これから温かくなってきたときの下着類が足りないというのが実態です。(なにしろ洗濯が不自由な状態ですから)

未来へと視線を移されている被災者の目線に追いつかなくては。

パート6


遊んでいた小学生4人組の会話。
「ひさしぶりだなあ。やっと遊べるよな」
「津波のときどうしてた?」
「たいへんだったよ、頭の上まで水がきちゃってさー。あと1分遅れてたら、オレ、死んでたよな~」
「すげえ、びっくりしたよなあ」
「車とかも流されてたからなあ」
「じゃあ、缶けりしよーぜ!」

(数10分後)

「今日はたくさん遊んだよな」
「楽しかったな」
「楽しかったな」
「じゃーな!」
「バイバーイ!」

なんと元気な子どもたちでしょう。
小さい子どもは現実から目を背けるために、あえて明るく振舞うこともあるといいます。
ただし間違いないのは、
(1)子どもの笑顔は、大人の笑顔や勇気につながるということ。
(2)未来は子どもたちのためにあるということ。
の2つではないか?と1人の大人として感じました。

silhouette photography of group of people jumping during golden time
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