「本気で手に入れたいと思う」
あれがない、これがないとこぼす人は多いが、その原因はきまって、その人たちが本気で手に入れたいと思わなかったからである。
「進んで行動する」
人は自分で考えて行動したいのだ。人に言われて動くのはいやなものである。
数々の困難もいとわず受け入れるような人たちもみんな、強制される仕事はきっと嫌がる。
だれだっていやだ。だれだって偶然起こる不運はいやだし、必然の運命に強いられるのもいやだ。ところが、困難を進んで受けてたつと、たちまち幸せになるのだ。
「進んで行動する2」
その戦いが自分の意志によるものであるならば、苦闘の末に手にする勝利ほど気持ちのいいものはない。困難にこそおもしろみがある。やすやすと手に入るとしたら、オリンピックのメダルなどいったいだれが欲しがるだろうか?
「過去や未来にとらわれない」
「人が耐えなければならないのは現在だけ。過去も未来も無害である。なぜなら過去はもう存在しないし、未来はまだ存在しないのだから。」ストア学派のこの主張は、まったくその通りである。過去と未来が存在するのは、人がそれについて考えるときだけ。つまり、両方とも印象であり、実体がない。それなのにわたしたちは、過去に対する後悔と未来に対する不安をわざわざ作り出しているのである。
「困難な人生を生きる」
人生が困難であるほど、人は苦難によく耐えて、もっと喜びを味合うことができる。なぜかというと、そういう状況では、単なる可能性でしかない不運まで予想している余裕がないからである。さしあたって必要なことを予想するだけで抑えられているのだ。
「欲しいものは、自らとりにいく」
人はだれでも、自分の欲しいものを手に入れるのだ。若い人たちはこのことについて、誤った理解をしている。彼らは、天の恵みがあることを祈って待つことしか知らないのである。ところが、天の恵みは空から降ってはこない。
望んでいることはすべて、人を待っている山と同じである。そこにじっと存在していて、いやでも目に入る。しかし、自らよじ登っていかなければならないのだ。
わたしの知るかぎり、幸先のいいスタートを切る意欲的な人たちはみんな、各自の目的地に到達している。それも、わたしが思った以上のスピードで、だ。
「自ら求める」
この世の中は、自ら求めようとしない人には、なにも与えてくれない。
「自ら求めようとしない人」とは「どんなことがあっても粘り強く、途中で投げ出さずに求め続けようとしない人」という意味である。こういう世の中は悪くない。教養や才能だけが重要なのではないからだ。たとえ知識やたしかな判断力があろうと、その仕事が好きでなければ、それはどうだっていいことなのである。
「言い訳しない」
自分以外に言い訳を探すような人が幸せだったためしはない。一方、自分の失敗をすぐに認めて「なんてばかだったんだ」と言える人は、その経験を自分のものにすることで、たくましく、幸せになる。
「楽しむ」
「本物の音楽家とは音楽を楽しむ人のことであり、本物の政治家とは政治を楽しむ人のことである。そして、楽しむのは能力のある証拠だ」。これはアリストテレスによる驚くべき洞察である。なにをするにせよ、本物の上達は、そこでどれだけの楽しみを得られるかによって測ることができるのだ。
「自分にだまされない」
よくあることだが、いちばん賢い人がいちばん自分にだまされやすい。自らの達者な弁舌には筋が通っているし、分別のあるものに思えるからである。
「済んだことを後悔しない」
意志の強い人とは、自分が今どこにいて、現実がどうなっていて、取り返しのつかないことはなにかを自分に言い聞かせ、その上で、そこから未来に向かって出発する人のことである。