逗子開成中学校の2020年度2次試験の国語に、「『さようなら』の理由」(竹内整一・雑誌「東京人」)が出題されていました。
□「サヨナラ」ほど、美しい別れの言葉を知らないと言ったアメリカの作家、アン・リンドバークはこう理解している。世の中には、出会いや別れを含めて、自分の力ではどうにもならないことがあるが、日本人は、それをそれとして静かに引き受け、「そうならねばならないならば」という意味で「サヨナラ」と言って別れているのだ、と。
そこには、ともあれこれまでを確認し、総括することにおいて、これからがどうであるかは問わないままに、何らかのかたちでさきへとつながって行こうとする祈りのようなものを見いだすことができる。
つまりそれは、これまでが「さようであるならば」、これからさきどうなるかわからないけれど、わからないままに「何とかなる」「だいじょうぶ」だと、言い聞かせようとする、たくまずして編み出されてきた、いわば「おまじない」のような言葉なのである。先人たちからずっと引き継がれてきた大事な挨拶言葉である。
日本語は美しいと思います。
国語の講師でよかったとも思います。
1964年の東京オリンピックの閉会式で、電光掲示板に「SAYONARA」の文字が浮かびあがり、この日本語は一気に広められました。