小説家 田辺聖子さんの恋愛論。いつの時代も変わらず「女の子の味方」として、小説やエッセイを書かれています。
□恋愛が苦手な人は、言葉数の手持ちが少ないんだと思う。
恋愛って言葉が大事だから、本をたくさん読んでほしい。言葉をいっぱい集めて、自分の舌でなんべんも転がしていくうちに、だんだんなじみのあるものになっていくから。もっとお口に油塗って、おしゃべりを楽しみあわないと。相手を少しでも気持ちよくさせてあげようって。
□私、男の人の最大の希望は「かまってほしい」ってことにあると思う。それを言いたいがために生きとンねん。大阪弁で言うと「かもてぇーな(かまってくれよ)」。
かわいいでしょ。
あたたかい文章です。
□でも、人生って、結局はささやかなものから成り立っていると思うのね。人が生きていくうえで一番大事なことは、いつも横にいる人と上手くいく――ということ。私はもっぱら、家族構造専門ですけど、家庭の出来事にも、目には見えない人間の大きな意味があると思うんです。
栄光
『いま、ここで輝く。~超進学校を飛び出したカリスマ教師「イモニイ」と奇跡の教室(著:おおたとしまさ・エッセンシャル出版社)』
を読みました。栄光学園の井本陽久先生に密着したルポルタージュです。
心に刺さった言葉です。
□「30年近く教員をやって、たくさんの子どもたちを見てきましたが、どんな大学を出たかなんてことはまったく重要じゃありません。これからの社会ではこんな力が必要だから、それを身につけさせるための教育をしようなんてことすら、僕は考えていません」と井本は断言する。いま私たちは、めまぐるしい社会の変化につい目を奪われ、いつの間にか目が回ってしまい、目の前の子どもたちのことが見えなくなってしまってはいないだろうか。急激なグローバリゼーションだとか、情報技術の発展だとか、AIの進歩だとか、たしかに世の中は大きく変化している。だから、教育も変化しなくてはいけないとも叫ばれている。しかしともすると、そのような言説をもとに繰り広げられる教育論議は、世の中の変化に、どうやって子どもたちを対応させるのかという話になりがちだ。まったくあべこべだ。子どもたちが未来をつくるのであって、当たりっこない未来予想図に合わせた子どもたちをつくるのではない。教育の役割は、子どもたちに未来をつくる力を携えさせることであり、未来に怯えさせることではない。
□子どもの逸脱行動にも否定語は使わない。
□ただありのままの子どもの姿を「承認」することこそが、子どもたちの学びの意欲をもっとも活発にするのだと確信している。
□教えたことは身につかない。
□生徒にたいして「ついこの野郎」と思っちゃうことがあるんだけれど、この怒りってもともとは自分の中にある何かの投影でしかなくて、どうやったって正当化できないよなと思っています。
□論理と感性が車の両輪だというなら、「承認」はエンジンに新鮮な空気を送り込むことに当たる。