職場でため息をつくのが、フキハラとしてハラスメントと認定される時代となりました。(回数が多かったり、他人のいる前ではハラスメントになるかも知れませんが、過度になんでもかんでもハラスメントになってしまうと、それこそため息が漏れてしまうと個人的には思います)
ありがとう
困難は克服できない障害ではなく、それに立ち向かい征服する課題です。確かに忍耐も地道な努力もいるかも知れませんが、自分には課題を達成する能力があるという自信を持つようにアドバイスできれば「勇気づけ」ができた、ということができます。
どうすれば、あるいは、どう言えば勇気づけになるかは、人によって、あるいは、状況によって違いますから、普遍的にこれが勇気づけになると言うことは不可能ですが、原則的に言えば次のようになります。
褒めるのとは違って、評価するのではなく、喜びを共有すること、自分の気持ちを伝えることは勇気づけになります。当たり前だと思って見逃しがちな行為に対して「ありがとう」とか、「嬉しい」とか「助かった」と言ってみます。
このような言葉は気恥ずかしくてなかなかかけられないと言う人は多いです。最近、反抗的な子どもにありがとうと言おうとしたら顔が引き攣るかもという人もいるでしょう。しかし、その気恥ずかしさはまず自分が克服するのだ、と考えたいのです。
子どももそんな風に言われたらきっと恥ずかしいでしょう(びっくりするかも知れません)。しかし、子どもたちの方からも「ありがとう」と言う言葉が出てくる日が来るのはそんな遠い先のことではないかも知れませんし、そうなってほしいものです。