ラオスにあったのもの
「ラオスにいったい何があるというんですか?紀行文集」(文藝春秋)という村上春樹さんの本を読んだときから、行ってみたかったラオスに行った2019年の思い出。
ラオスの観光ハイライトは、朝5時半から行われる子どものお坊さんたちの「托鉢(たくはつ)」です。仏教国のラオスでは、家が貧しく食事や教育を十分に受けさせられない場合など、修行僧として寺院に入る習慣があります。少年たちは、朝4時に起床して掃除、5時半ごろから托鉢という超早起きの生活です。恋愛適齢期でも、女性と触れ合うことは禁止です。
ある少年のお母さんは、毎朝、蒸したもち米を托鉢のために準備します。修行中の子どもには話しかけてはいけませんし、目も合わせることもできないという厳格なルールがあります。毎日、食べ物を持っていくことだけが、親子の愛情の確認方法です。
言葉と目線は、とくに何があるというわけではありませんが通じ合うものがあります。
親子の絆は世界共通です。
聞くという字
「聞く」という文字は、耳が門に囲まれています。だから、人の話を本当に聞こうとするには、門を外してから聞くべきだと考えて見ましょう。門というのを他の言葉に置き換えると、先入観とか思い込みという言葉になるかと思います。
小5男子A君とのエピソード。成績が急落したA君のお母様から、「プリントを出してください」「早めに行くので補習してください」というお申し出がありました。私はいったんそのお申し出を保留にして、授業後に本人と話をすることにしました。その話のヒントは、授業中に見つかりました。A君が、ボソッと「雨降れ」と言ったのです。授業後に本人を呼んで「雨降れって聞こえたよ」というと、A君は泣き出してしまいました。しばらく泣いた後に本人は、こう告白しました。「先生、僕は運動会が嫌なんだよ。足が遅いし。だから、雨降って欲しいんだ。でも、授業中に雨降れって思っちゃいけない、あ、今思ってた・・・となって集中できなかったんだよ」
話をひとしきりしたA君はスッキリしたのでしょうか、元気になり、成績も復活しました。(運動会が雨で中止となったというオチまでつきました)
子どもの頃のケンカ
幼稚園~小学校低学年の時、こどもたちはしょっちゅうケンカをします。
(私も、1つ下の弟と兄弟げんかをよくしていました。)
ただし、そのケンカも長くて30分。いつの間にか、仲直りして遊んでいたり、寝てしまっていたりします。
それは、人間の怒りというのは、本質的には「長続きしないもの」ということを証明しています。(大人の場合は長続きしたりします。もし怒りがずーっと続いているのなら、きっと別のなにかが考えられるのではないでしょうか。)何かの本に「怒り」=「胃狩り」だから、体に悪いとも書いてありました。
そこで工夫。
もしイライラしたことがあったら、5分は相手に伝えるのを待ってみよう。(アンガーマネジメントだと「6秒」で良いとされています)もし、5分後に「たいしたことないや」と思えたら、きっとたいしたことない。逆に、誰かを怒らせてしまったら早めに電話とかでもいいから謝ってしまうこと。
相手の怒りも小さくなっているのでは?