パシフィコ横浜にて
10年以上前になりましすが、パシフィコ横浜で瀬戸内寂聴さんの話を聞く機会がありました。
「不便ということは、不便なだけじゃないんです。昔の人は忍耐強いとかいうけれども、忍耐づよくなければ生きていけなかったのです。今は便利だから、あまり忍耐しないでもいい。では、そのぶん人間が成長したかというと、そうではないような気がする。体を使わなくなったぶん頭を使っているかというと、そうは思えません。体を使わなくなったぶん、頭も鈍っている。刺激されなくなったからでしょうか。」
「震災でどうかなったら、そこへ物を送ったり、助けに行くことをボランティアというでしょう。昔はそういう言葉がなくても良かったんです。困っている人が目の前にいたら助けるのはあたりまえなのに、それが今はなくなってしまった。何かを「してあげている」というような意識があるような気がします。」
「今の世の中の一番悪いのは、自分さえよければいいという考えが当たり前になったことだと思います。」
「たとえば人が集まった場所で、自分が嫌な顔をしていたらみんな不愉快になるじゃないですか。協調性がない人はそうだと思うんです。他の人を不愉快にするくらいなら、すっとどけばいいだけなんです。」
「つねに現実は、今の若い人たちが将来を背負うんです。だから、若い人たちが大切なんですよ。そういう若い人たちが、今の風潮に流されずに、まわりの人の幸せを考えて生きていってくれれば、世の中はかならず変わると思います。」
「不条理があるから、我々はそれを解明しようと思って勉強するのであり、芸術が生まれるんです。小説が書かれ、ゲルニカのような絵が描かれるんです。不条理のない世界というのはのっぺらぼうで、そんな世界は退屈じゃないですか。」
お金
「勤労して得たお金だけがお金です。親からもらったお金は身につきません。子孫に美田を残さずと中国の人も言っていますけれども、親も子供に財産を残すことはないんです。」
「野球選手とお金の問題がニュースになっていますけれども、儲かるから野球選手になろうという人はいないと思います。やはり野球が好きだから野球選手になる。」
「運動会の競争でも一等はいけない。こんなばかげたこと、びっくりしてしまいます。それは、なにも努力しない人間を作っているようなものです。また、みんなが同じでなければいけないということになったら、まわりと違う人がいたらいじめるんですよ。」
「大きな編み物のテーブルクロスを作るとするでしょう。私たちはその中の一つの目なのです。そのひとつの目を虫が食うとするでしょう。そうしたらそこがほころびます。まわりにそれがうつっていって、そのほころびがだんだん大きくなる。人間もそういうものなんです。だから、自分はひとつの目だけど、同時に自分は非常に大切な存在なんですよね。自分が虫食ったら、まわりも虫が食うということを知っていたらいい。それが社会の中の自分なんですよ。」
「した」と「しなかった」
「愛というものは、報酬を求めないもの、与えるだけのものなのです。」
「だれも人を愛したことがないというのは、人間としてかわいそうです。愛で苦しんだ人は、人の持つ愛の苦しみを理解し、同情することができます。そういう経験のない人は、非常に冷たいですよね。優しい人というのは、たいてい愛で傷ついた人なのです。」
「人間は自分が幸せなときは、幸せだとなかなか感じないんですね。欲張りですから、もっと幸せになりたい。」
「『した』ということと、『しなかった』ということでは、今の年齢になって振り返ると、意味が違うと思うんです。」
「悩みのない人間なんていません。他人が聞いたら「どうして悩みなの?」ということでも、本人にとっては本当に切実なことがあると思います。しかしそれを克服して前に進むことによって、あとで「バカなことで悩んでいた」と分かる。そのときには、また新たな悩みに直面します。しかしそれを繰り返し繰り返し、悩みに打ち勝って、前に進むしか生きていくことができないですね。この世の中は楽しいことばかりではない。しかし、私たちが、苦しみの世の中に送り出されてきたことには、なにか意味があるんだと思います。」
本を読む
「四角いものなのに、三角でなければいけないと思い込んでしまう。それは自分が悪いのではないかしら。」
「失敗の経験によって人間は利口になっていく。だから後悔しても、そのことによってしょげることはありません。失敗を失敗と認めなさい。そうしたら、そこで失敗しない知恵が自然に生まれてきます。2度はしても、3度同じ失敗はしないと思います。」
「願いをかなえる方法でまず大事なのは、自分の幸せよりも他人の幸せを考えることです。そうしたら、自分の幸せが自然に達せられます。」
「本を読むということは、自主的にする勉強だからいいんです。また、小説を読む時間というのは、人間がひとりになって考える時間ですよね。人間が人と一緒にできる経験というのは知れていますが、小説あるいは芝居を見るということは、自分が経験できないもうひとつの人生をたどるということです。それはその人の心を非常に豊かにします。本を読むことは体験することなんです。」