「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」という本の著書であり、書評家である三宅香帆さんの対談を読みました。新書で15万部売れるのは、最近では珍しい現象です。(国語科講師としては、残念です。)
『本の効用について人生が豊かになると言われているとか人格形成に役立つとか言われているが、文学部の教授だからと言って人格が高潔だからとは限らない。ならば本を読むメリットはどこにあるか。それは、作者が自分の価値観と戦ってくれることだろう。普通に生活していると、周りの家族や仕事仲間と価値観がある程度似通ってくる。それは心地よいことだけど、一方でそのままでいいのかなという疑問もあるわけだ。そんな時に本を読むと、作者が別の価値観を提示してくれて、自分の価値観が影響を受けたりする。いい本は良くも悪くも自分の価値観を揺るがせることができる。そこに読書の一番の魅力があるのでないのだろうか。』
※三宅香帆さんの「それを読むたび思い出す」(青土社)は、2024ねん聖光学院帰国入試で出題されました。
駒場東邦中学
価値観を広げるためという内容は、駒場東邦中学の向井先生と私が対談した時に出てきた話でもあります。「駒場東邦では、中学受験ができるような家庭環境にある、そして男子のみが6年間を過ごす。価値観がどうしても偏るために、入試問題では主人公を多様性のある人物から選び、入学後では芥川賞も含め色々な種類の文学に触れさせる」という内容でした。ちなみに、高校3年生は夏目漱石を扱うという素晴らしいカリキュラム。
本を読む=受験に役立つかどうか?の議論をしている教育者については、(このブログではあまり厳しい内容で伝えることはないのですが)見識が浅いと思います。子どもの教育のためには、読書が不可欠だと思っています。
A I時代だからこそ
テレビやYouTubeはカジュアルに楽しめるが、その分出演者と視聴者の関係もカジュアル。一方、本やラジオは発信する人とじっくり向き合える。しかも、本は亡くなった人とも語り合うことが可能。そう考えると、A Iの時代になっても、読書はユニークな体験であり続けるはずだ。
□パソコンの具合が良くありませんでしたが、無事に相棒のMACBOOKが修理から戻ってきました。引き続き、ブログをお読みの皆様、よろしくお願いいたします。このブログの前に書いていたものは、14年間続いておりました。