「法隆寺最後の宮大工棟梁」と呼ばれた故西岡常一が住んでいた奈良県斑鳩町西の里は、法隆寺に仕える職人たちの村だった。彼らの生活は保障されており、日頃から法隆寺を見て回り、どこか悪いところがあれば、自ら直す。それが法隆寺に仕えるということだった、仕事がない時には農業をしつつ、常に寺のこと、先のことを考え、良い木があれば何年も乾燥させて次の修理に備えていた。
昔、宮大工の棟梁は、木を買わずに山を買っていた。自ら山を歩いて見て回り、一本一本が育っている環境をじっくり見るためだ。陽の当たり方、水源、風向きなど、異なる環境で生き抜くために、木々は独自の癖を身につける。だから癖は生命力の表れであり、使い方次第ではとてつもない強さを発揮することを、昔の宮大工棟梁は知っていた。逆に、癖のない素直な木は弱く、耐用年数が短いことも。そうして昔の宮大工棟梁たちは、熟練のまなざしで
木々の癖を見抜き、それに合わせた使い方をしたり、組み合わせたりすることで「木を生かす技」を受け継いできたのだ。
宮大工棟梁の目で、子どもの長所を見極めてあげたいと思う。