哲学では「○○とは何か」「〇〇をするとは何をすることか」というような、根本的な問いを扱うことが多くあります。〇〇には、生きる・幸福・友情などの言葉が入りますが、このように大きく開かれた問いは、イエス・ノーでは答えられません。しかし、答えがある試験勉強に慣れた中学受験生には、中高時代では哲学対話のような授業は大事だと感じています。勉強は、大学受験のためだけにあるのではありません。
ある学校では、類似の概念を提示することで考えが深まることを経験させるために、「幸せとウェルビーングの違いは?」という授業をしていました。「類似概念の比較検討」というのは、対話の授業をやる時の基本です。


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