『命は尊い』と言うが、「命とは何か」「尊いとは何か」は人によって、対象も重みも違う。このように言葉というのは完璧ではないので、相手と通じ合えないのは当然のことでもある。だから、相手との言いたいことや気持ちをできるだけ齟齬のないように擦り合わせる力をつけるために、国語という科目は存在するのだと思う。
上記は「なぜ読書を子どもにさせたいのか?」という理由に共通する部分もある。「本を読んでも国語の力が上がらない(から読む必要はない)」という人は、(ひょっとしたら)国語の指導者ではあるかも知れないが、教育者ではないんじゃないかな?


お問い合わせ
アクセス